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過去の政策~2003年衆院選の政策

過去の政策1 責任をとる政治、決断する政治 

「失われた10年」の政治責任

「失われた10年」とよく言われます。具体的に、なにが失われたのでしょうか。
まず、所得が失われました。資産も失われました。事業も、雇用も失われました。将来に対する見通しと希望も失われました。なによりも日本という国に対する誇りが失われてしまったと思います。

こうした状況の中で、今の政治家たちは、責任回避に明け暮れているのが実情です。小泉内閣は改革、改革と叫んでいます。しかしながら、自民党は、改革を云 々する前にやらなければならないことがあるのではないでしょうか。それは、「失われた10年」の責任をとることです。日本の政治、日本の経済、日本の社会 をこのような体たらくにしてしまった、結果責任をとることであります。

小泉政権がいう「改革に伴う痛み」の欺瞞

「改革に伴う痛み」ともっともらしく言うが、結局、ツケをまわされているのは一般国民ではないでしょうか。
こんな馬鹿な話はありません。これでは、国民が本当に改革を伴う痛みを背負う気持ちになるはずがありません。士気がさがる一方であります。

今求められていることは、現体制の政治家たちを一掃することです。具体的に、自民党を政権の座から追い落とすことによって、政治責任がとられることであります。

そのためにも、私は皆様の信頼を得て、自民党的政治と徹底的に闘って、政権交代を果たさなければならないと考えます。そして、政権を奪取したあかつきに は、決断する政治、責任をとる政治をやりたいと考えています。責任と決断はリンクしています。責任をとる覚悟さえ決めていたら、大決断はおのずとできるの だと思います。

今、政治が直面している課題は、こうした大決断をともなわなければならないものばかりです。

以下に、こうした課題のうち、2点ほどについて自分の考え方を簡単に述べます。

過去の政策2 生活者の不安を解消

言うまでもなく、政治の基本は、私たちの「衣食住」を確保することです。しかしながら、現政権は、国民の生活にかかる不安を払拭するどころか、増幅さえしています。

具体的には、(1)雇用の不安と(2)老後の不安です。

1.雇用の不安

まず、雇用の見通しも相変わらず不透明です。
なによりも自民党政府は景気回復のための前提である金融機関の不良債権を放置しています。むしろ最近の数字を 見ると、驚くべきことにまだまだ不良債権が増えています。不良債権が蓄積・増加しているかぎり、銀行は本格的に金を貸し出すわけがない。

つまり、経済の血脈であるお金がまわらないのです。こういう状況の中で、いくら素晴らしい発想をもった企業家が現れても、資金調達が困難であります。また、いくらデフレ対策といって、公共事業を増やしても、あるいは減税を行っても、本格的に民間の元気がよくなるはずがない。

他方、小泉総理は「構造改革なくして景気回復なし」と叫んでみせたが、特殊法人の改革、郵政事業の公社化がどうして景気回復につながるのでしょうか。抵抗 勢力との見せ掛けのケンカはそれなりに面白いが、そろそろ冷静に考える必要があります。経済が民間主導で回復しないかぎり、雇用不安は消えないからです。

こうしたことから、デフレが加速することを抑制するために、財政再建は当面後回しにし、かつ、金融政策は引き続き緩和しつつ、超短期間で大胆に不良債権を処理しなければなりません。

具体的には、法的手続等に則り直接償却を行うことにより、不良債権を減らすことが重要です。本来は銀行みずから行うのが望ましいが、場合によっては、強制 的に行うことも視野に入れるべきです。一方で、金融システムを守るためには、必要最低限の公的資金の投入を行うことも辞しません。さらに、当然、金融機関 の経営者責任は、刑事責任を含めて徹底的に追求しなければなりません。

最近発生している不良債権の大半がデフレの結果だという議論もあるが、中にはダイエーなどのように検査の甘さから隠されている部分もあります。こうした部分を見逃すことは許されません。また、不良債権問題の深刻さを考えると、デフレの結果だからといって放置できません。

他方で、経済の血流を力強くするためには、郵貯・簡保の民営化を早急に行わなければならないと考えます。小泉総理の郵政事業の公社化なぞは何の意味もあり ません。日本の都市銀行・地方銀行の資金を足した額と同額の資金約350兆円を郵貯・簡保は保有しています。この貴重なお金が国債を買ったり(ひいては利 権関係の事業に流れたり)、特殊法人の給料や天下り役人の退職金に使われています。
こんな無駄な話はないと思います。

こうした自民党政治の「尻拭い」と同時に、将来への見通しを行う必要があります。これから日本経済を引っ張っていく新産業のヴィジョンを示すことです。新 進気鋭の経済人、学者、コンサルタント等が知恵を結集して、今後発展する新しい産業を明らかにする必要があると考えます。あわせて、研究開発の面などにか んして、規制改革、税制改正等発展を促すための環境整備を図る戦略を考える必要があります。

以上、かかげた非公共事業的経済対策を行って、日本の潜在的能力を引き出すことにより、景気も回復し、雇用の見通しも中期的には明るいものとなることが期待できます。

2.老後の不安

次に、私たちの年金、医療、介護の給付水準はどうなるのでしょうか。今後の負担はどうなるのでしょうか 。
社会保障費の負担は毎年のように引き上げられているが、いつまで続くのでしょうか。
このままでいけば、私たちが稼ぐ所得の半分以上が、国家に吸い上げられてしまうようになります。国家に過度に依存する社会は、ひとりひとりの自主自立の精神を蝕むことになり、不健全きわまりないと考えます。

このように、財政事情が極めて厳しい中で、現在の社会保障制度の仕組は複雑で不透明であります。これでは老後の不安が募るばかりです。

こうした不安を払拭するためには、社会保障制度を簡素化し、年金等の根本的な改革を実施するとともに、その将来見通し(負担と給付)を徹底的に情報公開し なければならないと考えます。
根本的な改革を行うにあたって気をつけなければならないのは、不必要に過大な社会保障を求めると、私たちの負担が重くなり、国への依存度が高まってしまうということです。
社会保障で「メシ」を食う人間が出てきてはダメです。

この考え方をしっかり踏まえた上で、適切な給付水準とそれを確保するために必要な負担水準を決めなければなりません。

過去の政策3 21世紀の人材づくり

天然資源が稀少なわが国においては、なによりも優れた人材が貴重であります。
こうした人材を輩出するとともに、ひとりひとりの子供に社会で活躍するための公平な機会を与えることが、教育の重要な役割です。
にもかかわらず、今の教育の荒廃には目を覆うものがあります。

戦後の「知識詰め込み型教育」の反動から、いまは「ゆとりのある教育」が云々されていますが、これについては、2つの問題点があります。ひとつは、「ゆと りのある教育」といえば聞こえがいいかもしれないが、今後、就職活動にはじまり社会における競争が一層厳しくなっていくことが確実な中で、日本人ひとりひ とりの学力が低下するおそれがあること。
もうひとつは、「詰め込み型教育」にもなく、「ゆとりのある教育」にもないものが、今求められているということ。
他者に対する思いやり、社会の一員としての基本的な義務、自分の住んでいる地域社会や国の問題を自分のものとして考える責任感です。

まず、前者の問題点については、今後ますます高度な専門的知識・技術が求められる社会に備えるためには、

1.義務教育における基礎学力の強化

義務教育において、「読み・書き・算数」の基本を教え込む必要があります。「独創的な発想」はたしかに重要です。しかし、何事も簡単な道というものはな い。「独創的な発想」は、基礎を固めた上で、さらに絶えまない努力によって、やっと勝ち取るものである。将来の大発明家を生むためには、まず、学力の基礎 をしっかり身につけることが重要です。

2.高等教育における高度な専門知識・技術の強化

他方で、高等教育については、大幅に専門的知識・技術を育てる観点が重要です。科学技術・ビジネス・法律などの分野における、大学院教育の充実を求めてい く必要があります。しっかりと基礎のできた学生たちが、大学レベルで自由闊達に幅広い知識を吸収した上で、さらに高度な専門的知識や技術力を身につけるた めには、大学院での教育が今後大事になってきます。

そのために、「ハコモノ」等設備のための予算だけではなく、海外の研究者をも含めた、優れた教授スタッフを充実させることも視野に入れなければなりません。

3.人格教育の必要性ー潔く生きることー

基本的な社会常識・責任感を教えるのは、第一義的には、もちろん家庭であります。しかしながら、学校も地域社会の重要な単位として、責任があることも事実です。また、学校は子供が集団生活を体験する主要な場所でもあります。

こうしたことから、教師と生徒との日々の対話の中で、あるいは、歴史や国語の授業の中で、こうした社会常識・責任感がしっかりと伝達されることは極めて重 要です。さらには、教師と生徒の両親との間の交流を通じて、両者一体となって、子供の人格教育について取り組むことも求められています。

最近の目を覆いたくなるような不祥事は、政治や行政の分野だけでなく、食料問題にはじまり民間企業においても多発しています。こうした社会倫理の低下は日本人全体の問題であると思います。

もろもろの制度改革も行うことも大事だが、まず、なんといっても日本人の精神のあり様を反省しなければならないのではないでしょうか。戦後、日本人は、「経済復興」「所得倍増」などを旗印に、豊かな生活を追い求めてきました。これ自体は決して悪いことではないと思います。

しかしながら、福利厚生を追求するあまり、日本人は「要領よく生きること」だけを最上の生き方としたのではないでしょうか。そして、その裏側として、「潔 く生きること」をないがしろにしてきたのではないでしょうか。この結果、社会倫理の堕落も顕著になり、他方で、国際社会における日本の発信力の心もとなさがあります。

「潔く生きること」は、しっかりした価値観のために、場合によっては、一時的に福利厚生を犠牲にすることです。戦前のあるフランス在日大使は、日本人を評 して、「彼らは貧しい、しかし、誇り高い」と母国に書き送っています。私たち日本人が、本来の誇り高い生き方を回復するためには、まず社会常識を含む躾 (しつけ)からはじめなければならないと考えます。

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