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「自分の足で立つ国を目指して」

政治は、昔から集団を束ねて、その生活を守るために権力を用いることを意味しました。もちろん、悪政の例もたくさんありました。しかし、どこの国や地域でも、政治が理想として目指してきたのは、生活の安定です。「政治」の「政」は軍事的に支配をし、秩序をもたらすという意味です。「治」は、治山治水の「治」でして、古代より人々の生活をもっとも脅かした自然災害に対し、権力者にしかできなかったことは、河川の整備や山の荒廃を防ぐこと、土砂崩れを防止することだったのです。

さらに、外国に対して自国を防衛するのも政治の本質です。論語にもあるように、孔子の弟子の子貢が政(まつりごと)とは何かと問うて、孔子は「食を足し、兵を足し、民之を信にす」と答えています。 幾星霜を経て、大西郷曰く。「政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其他百般の事務は、皆此の三つの物を助るの具也。此の三つの物の中に於て、時に従ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして、他を先にするは更に無し。」

政治の要諦は、教育文化、軍事力、農業を含めた産業を強化することにあり、ということです。

時代が現代に移り、西欧の啓蒙主義が広く行き渡り、科学技術が進み、行政の役割も広がりました。今や国民の生活の細部にまで政治が入り込んで、個人の思想信条の自由、言論の自由を守ることから、医療・年金・介護、障害者支援、ゴミ処理、インフラ整備、環境問題にまで及ぶようになりました。

しかし、これらも最終的には、国民の生活の安定を図ることを目的としています。

これらは、どこの国の政治にも通用する基本中の基本です。

ただ、人それぞれに個性があり、志があるように、それぞれの国の政治にも個性があり、志があります。それは、勝手に誰かがでっちあげるものではなく、その民族や国民の歴史体験によって形づくられるものです。

我が国は、古来よりアジア大陸からの文化的な、あるいは、軍事的な挑戦に立ち向かって、自分たちの独自の文明文化を形成し、外国からの支配を拒否してきました。その志は、中国に対等の関係を宣言した、聖徳太子の「日いづる天子、日没する天子に書を致す」という言葉にあざやかに示されています。もちろん、時には、妥協したこともあります。また、時には、この理想を貫くことができなかったこともあります。しかしながら、たえず大国に囲まれてきた我が国は、その独立と独自の文明文化を守る志を燃やしてきたのです。

さらに、維新からわずか50年も経たないうちに、日本政府は、パリ講和会議において「人種差別撤廃」を宣言しました。米国における排日の運動を念頭に、世界の紛争の原因が、西欧列強の植民地主義にあり、その背景に有色人種に対する差別偏見があったことを鋭く指摘したのです。そして、こうした差別を無くして、共存共栄の世界を築くべきだ、という旗を掲げました。

これは日本史上初の世界構想につながる理想でした。聖徳太子の一国自主独立のみならず、世界的視野に立って、どの国でもそうした権利を認めるべきであることを主張したのです。

もちろん、我が国は必ずしも、自分たちの理想にふさわしい行動をとってきたわけではありません。これはこれで、素直に認めるべきです。しかし、至らなかったことがあったからといって、我々の志が無意味になったとは考えるべきではありません。志というのは、そんなに簡単に捨て去られるべきものではありません。本物の志は、挫折につぐ挫折、幻滅につぐ幻滅を経て、さらにその輝きがなおまばゆく、なお熱を帯びてくるものであります。

ふたたび大西郷の言葉を引用すれば「幾たびか辛酸を経て、志いよいよ堅し」です。

戦後の日本は、これもまた国史上初の本格的な敗戦と米国による占領を経験しました。以降、外交防衛の大半また通商経済の相当部分を米国に頼る時代に入ります。米国は、露骨な支配をしませんでしたが、我が国の浅知恵と無防備と怠慢もあり、結果としては、現在かなり米国に依存をせざるを得ない状況にあります。この間の米朝会談は、これを裏づけています。

先の大戦に疲れ切った国民の大半、政治家のほとんどは、米国にボディガードを任せながら、経済成長を図ることを選択しました。あるいは、これをしたたかな政策と自負していた人もいたでしょう。しかし、ながらく自分の足で立たない生活がつづくと、足腰が弱ります。中国の春秋戦国時代で、衛星国が大国に依存した結末を教訓として、白川静先生が現代日本に対する感想を述べています。「日本のような状態は「附庸」というんです。属国のことですね。大きな国にちょこんとくっついている。これを「附庸」という。養分だけとられて独立していないと言うことです。そういうことが、中国の古典を読むとわかるようになります。」

アメリカの「米国第一主義」の外交がつづけばつづくほど、いかに我が国の養分が吸い取られてしまったかが、火を見るよりも明らかになってくるでしょう。トランプ大統領のポピュリズムは一時的な現象かもしれませんが、自分の国益だけを追求するという「孤立主義」は米国の建国精神でもあり、その外交の根強い伝統でもあります。冷戦時代が、むしろ例外だったといえます。我が国は、今後どのような大統領があらわれても、米国から少しずつ距離を空けられていくことを覚悟をしなければなりません。

これによりアジアに「力の空白」が生じます。そして、すぐお隣に、その空白を力づくで埋めようとする勢力が、虎視眈々と狙いを定めています。

こうしたきわめて厳しい国際情勢の中で、日本の政治は、これまでの長い歴史体験の中から、早晩「自分の足で立つ」という志を思い出さなければいけません。自分の足で立つことによってしか、政治の基本である国民の生活を守ることができないからです。

私の政治信条の第一は、ここにあります。